日本の民話 第232話 年貢米の一俵が、平戸藩だけすくないわけ



(出典 kishimotoyoshinobu.com)


長崎県 平戸城

(出典 Youtube)


むかしから、一俵のお米は四斗(よんと→約六十キロ)と決まっていましたが、日本中でも平戸藩だけは三斗二升(さんとにしょう→約四十八キロ)を一俵としていました。
 これは、その平戸藩の一俵にまつわるお話しです。

 むかし、平戸には大変頭の良い殿さまがいました。
 この殿さまが参勤交代(さんきんこうたい)で江戸に上り、江戸城の大広間で酒宴が開かれた時です。
 座敷には全国津々浦々の大名たちが、少しでも見栄を張ろうと立派なかみしもを着て座っていました。
 ですがその座敷の一番下座(しもざ)で、みすぼらしいかすりのかみしもを着て座っている一人の大名が将軍の目にとまりました。
 その大名こそ、平戸藩の松浦公(まつうらこう)です。

 松浦公がひざの上に手拭いを広げて、ご飯をすすり込むように食べているその姿が、将軍にしてみればあまりにも奇妙に見えたのでしょう。
「なぜ、あのように食べるのだ? あの大名を、ここへ呼べ」
 将軍の命令で前へ呼び出された松浦公は、なぜ奇妙な食べ方をするのだと尋ねられて、こう答えました。
「はい、私の国は遠い西の果ての小さな島国で、気候も悪く、米はほとんど取れませぬゆえ、領民はアワやヒエ、それにイモばかりを食べております。
 アワやヒエは米のように粘りがないので、どうしてもはしでは食べにくく、かき込んで食べる癖(くせ)がついてしまいました。
 お恥ずかしながら、先ほどもその癖が出てしまったのでございます。
 また、このかみしもは百姓たちがカズラ(→つる草)やコウゾ(→クワ科の落葉低木で、和紙の材料)をひいて今日の為に作ってくれた物です。
 そのせっかくのかみしもを汚さないようにと、手拭いをかけて食べていたのです」
 これを聞いた将軍は、とても感心しました。
「なんと、そちの藩は、それほど貧しかったのか。
 だが、そんなに貧しいにもかかわらず、松浦公の藩は毎年きちんと年貢米を届けておる。
 まことに、感心な事。
 よし、それならば平戸藩だけ、年貢米は一俵が三斗二升でよいことにしよう」
 それからです、日本でも平戸藩だけが年貢米の一俵が少ないのは。
 でも実は、平戸はオランダ貿易が盛んで、財政はとても豊かな藩でした。
 ですがそれを将軍に知られると、年貢を増やされるかもしれません。
 そこで頭の良い平戸の殿さまは、こんな演技をしたのでした。
   おしまい