安定的な皇位継承の在り方などを議論してきた政府の有識者会議は、昨年12月に最終的な報告書をまとめた。弁護士の堀新さんは「皇族数を確保する方策として提出された2案は、どちらも現実的ではない。皇室が途絶えることを想定して、ポスト皇室を議論するべきではないか」という――。

■悠仁親王が天皇になるまでは現在の制度を維持

眞子さんが結婚して皇室から離れた現在、皇室の人々の人数はわずか17名になりました。このような状況を踏まえ、昨年12月22日、政府の有識者会議が皇族の人数の確保に向けて報告書を発表したところです。

まず有識者会議は、皇位継承の在り方については特に変更を考えないこととして、踏み込むのを避けていることに注意してください。

現在の皇室典範では、父親が天皇か皇族である男性皇族(いわゆる「男系」)だけが天皇になれることになっていますが、この点については変更せず、悠仁親王が天皇になるまでは現在の制度を維持するものとしたうえで、差し当たって皇族の人数を確保する案を示しただけなのです。

案を簡単に紹介すると、

①女性皇族が結婚しても皇族の身分にとどまる。ただしその夫と子は皇族にはならず、一般国民のままとする
②皇族が養子をとれるようにする。具体的には1947年に皇族から離れて一般国民となった人(旧宮家)の子孫を養子にすることを主に考える。

という2案です。

(他に、旧宮家の子孫を皇族の養子という形ではなく、直接的に皇族にするという案も発表されていますが、有識者会議は他の2案より困難なものとみているので、ここでは省略します。)

以下、これらの案とその問題点を簡単にご紹介しましょう。

■現在以上に女性皇族が結婚困難になるのがオチ

まず①の案については、女性皇族が結婚しても夫と子は一般国民のままで皇族にならない想定ですから、夫と子は、財産権も営業の自由も政治活動や信教の自由も保障されることを意味します。

つまり皇族の夫と子が、その立場やイメージを営業活動に利用したり、新興宗教を立ち上げたり、政治運動に利用するのも自由だということになります。

実際にはそういう事態が起こらないように、女性皇族の結婚相手については今以上に厳しい「身体検査」が行われるようになり、メディアの追及も激化するでしょう。

結婚して皇室から離れる眞子さんの時ですら小室圭さんに対してあれほどのメディアのバッシングが起こったのですから、結婚しても女性皇族が皇室から離れないということになれば、どれほど過酷な取材や報道が行われるか、容易に想像がつきます。

果たしてそういう状況を覚悟して女性皇族と結婚する人が現れるでしょうか。

現実的に考えてみると①の案は、結婚した女性皇族が活動するようになるというより、単に現在以上に女性皇族が結婚困難になるのがオチだと思われます。

■想定されていない女系皇族

なお、仮に女性皇族の夫と子も皇族になるという制度にした場合、新たな難問が出てきます。現在の制度では想定されていない「母親は皇族だが、父親が一般人である皇族」(いわゆる「女系」の皇族)が現れることになるからです。

現在の皇室典範では、父親が一般人である皇族というのは想定されておらず(だからこそ女性皇族は結婚すると皇室を離れることになっている)、天皇になれるのも、父親が天皇か皇族である男性皇族(前述の「男系」)に限られているのです。

■誰が皇室の養子となるのか

一方②については、現在は認められていない養子制度を皇室に導入することが前提になっています。養子といっても誰でもいいというわけにはいきませんから、有識者会議としては、基本的には過去の天皇の子孫の一般国民を養子にする仕組みを考えています。

具体的に案として挙がっているのは、いわゆる旧皇族とか旧宮家の子孫と呼ばれている人々です。

あまり詳しくない読者の方のために、この「旧宮家」についてここで簡単に解説しておきましょう。旧宮家とは、第2次世界大戦後の1947年10月14日まで皇族であった11の宮家のことですが、今の天皇家や秋篠宮家との血縁はかなり遠いのです。

■南北朝時代にさかのぼる「旧宮家」

かつて朝廷が北朝と南朝に分かれて対立し二つの天皇が並び立った南北朝時代、北朝に崇光天皇(1334~1398)という天皇がいました。この崇光天皇の孫の伏見宮貞成(さだふさ)親王(1372~1456。いわゆる室町時代)という皇族に2人の息子がいて、兄の方が現在の皇室の祖先の後花園天皇となる一方、弟とその子孫はそのまま「伏見宮家」という家を継承していきました。

この「伏見宮家」の男系の子孫たちからは天皇は出なかったものの、皇族の地位を代々維持し続け、さらに「久邇宮家」「東久邇宮家」「竹田宮家」などの家に分かれ、最終的には第2次世界大戦後の1947年10月14日に皇族の身分を離れて一般国民となったのです。

公職についた有名な人の例としては、終戦直後に首相を務めた東久邇稔彦氏や、JOC元会長の竹田恒和氏がいます。

若干ややこしくなりましたが、旧宮家の子孫は、現在の皇室の室町時代のご先祖である後花園天皇の弟の子孫というわけです。しかも父から父へと代々継承されてきた、男系子孫です。

■旧宮家が皇族になることの難点

この旧宮家の子孫の人々に皇族になってもらえば皇族不足の問題が解消できるということで話題になっているのですが、この案もいくつか重大な難点があります。

まず、現在の旧宮家の子孫の人々は、あくまで先祖が天皇や皇族だったというだけの一般国民でしかなく、憲法により完全な基本的人権を保障されているということです。

選挙権や被選挙権もあれば、職業選択の自由、居住移転の自由、信教の自由などが保障されており、何らかの職業に就いて社会生活を送っている人もいくらでもいます。

このような人々の意思を無視して、勝手に一般国民としての自由や権利を奪い取って皇族にすることなどできるわけがありません。

そこで同意をしてもらって養子にするという案が出てきたのです。

■たとえ養子になることに同意しても…

仮に養子として皇族になることに同意する人がいたとしても、その人が既に結婚して子もいる場合、妻や子はどうするのかという点がまず問題になります。

妻と子がすんなり同意するとは考えにくく、また妻と子が反対して本人だけが皇族になることに同意するなどという事態も常識的にみてありえないでしょう。ちなみに有識者会議の案としては、既に子がいる場合、子は皇族とならないことを想定しています。

そうなると独身の人(しかも若い人)がふさわしいということになりますが、人生これからという立場の人が、果たして不自由な身分にわざわざなろうと思うでしょうか。

さらに、既に会社員などの職業に就いていたら辞めねばならないのかとか、住宅などの私有財産がある場合はどう扱うのか(憲法上、皇室財産は国に属することになっています)など、難問がたくさん出てきます。

■メディアにとって格好の標的

何よりも、仮に皇族になることに同意するとなったら、メディアにどのような扱いを受けるかは(先ほどの女性皇族の結婚相手の場合と同様)想像がつくでしょう。

あらゆることが暴き出され、何かトラブルでも見つかれば(というより、トラブルでなくても、話題になるネタさえあれば)徹底的なバッシングを受けることになります。

とりわけ旧宮家の子孫といっても1947年10月14日大正天皇の皇子たる秩父宮・高松宮・三笠宮を除く11宮家51名が皇籍離脱した)より後に生まれた人は、すべて生まれた時から一般人として生活して社会の中でさまざまな経験をしてきたのであり、別に一般の世界から切り離されたお屋敷みたいなところで特殊な生活をしていたというわけではないのです。

■一般国民の中に身分差別を持ち込むのか

また、皇室典範の条文をどのように書くかという点も問題です。皇室典範も法律の一種ですが、法律の条文に「昭和22年1947年10月14日に皇族の身分を離れた者の男系の子孫については、養子とすることができる」みたいな感じで書くのでしょうか。

かしこれは、法律の中で、一般国民の内部に、生まれによる差別(「皇室の養子になれる身分」と「そうでない身分」の差別)を明確に持ち込むことを意味します。

日本国憲法の次の条文をここで見てください。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
② 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。(以下略

旧宮家の子孫も現在は「国民」です。先祖が過去の皇族だろうと武士だろうと農民だろうと、「国民」はすべて「法の下に平等」でなければならないのに、先祖によって扱いが違うことを法律の中にハッキリ書き込んでしまうことが許されるでしょうか。

日本国憲法が認めている唯一の身分差別は、天皇・皇族と一般国民の間の違いだけであり、一般国民同士の中では、先祖が誰であろうと、「法の下に平等」でなければならないはずです。

この問題を避ける方法としては、皇室典範の条文では特に血筋を限定せずに誰でも養子になれるかのような書き方にしておいて(つまり「法の下に平等」)、実際の運用のレベル旧宮家の子孫が養子となってくれる話が持ち上がった時だけ皇室会議で承認する(それ以外の人が「皇室の養子になりたい」と言い出しても、ただ単に無視すれば良いだけ)ということが苦肉の策として一応は考えられるでしょう。

ちなみに皇室会議とは、男性皇族の結婚などについて審議する機関であり、内閣総理大臣衆議院議長、最高裁長官、皇族2名などによって構成されます。

■現在の天皇家と血筋が離れすぎている

さらに別な問題としては、旧宮家の子孫の人は現在の天皇家とあまりにも血筋が離れているという点も指摘されています。先ほど述べたように、旧宮家の子孫の人々の父方(男系)の祖先をさかのぼっていっても、さきほどの室町時代の伏見宮貞成親王までさかのぼらないと、現在の天皇家と共通の男系祖先に至らないのです。

遠い祖先のところで過去の天皇から分かれた子孫でいいというのであれば、別に南北朝時代の天皇の子孫に限る必要もないのではないでしょうか。

例えば平安時代桓武天皇や清和天皇や村上天皇などの子孫は、桓武平氏清和源氏や村上源氏であり、その血を引く人を探せば日本全国に膨大に存在するはずです。

有名な例としては、細川護熙元首相が挙げられるでしょう。細川元首相は大名の細川氏の子孫ですが、細川氏というのはもともと清和源氏ですから、清和天皇の子孫なのです。

こうしてみると、実際問題として旧宮家の子孫の人に皇族に戻ってもらうというのも多くの難点を抱えた選択肢のように思われます。

■皇位継承の避けられない困難

このように皇族の数を確保するといってもなかなか容易な話ではないのですが、さらに今回の議論で避けてきた将来的な皇位継承をどうするかという問題にもすぐに直面しなければならなくなることも明らかです。

どのような形をとるにしても、皇室が続いていくには、とにかく皇族が結婚して子を産まなければなりません。その結婚相手が見つかる保証はあるのでしょうか。

一般国民としての自由や権利の保障を全て捨てて、皇族と結婚して皇室入りしてくれる人がいなければ、もうどうにもならないのです。

■お妃を選べる立場なのか

現在でも、悠仁親王について「お妃選びをどうするか」という話題が出ることがありますが、そもそも皇族は結婚相手を「選べる」立場なのでしょうか。

天皇が皇太子時代に雅子さんと結婚するまでどれだけ大変だったかを覚えている人は、皇族の結婚について決して楽観的になることはできないでしょう。

皇族の人数の確保にしても、皇位の安定的継承にしても、もはや非常に困難な状況といわなければなりません。

■「ポスト皇室」を考えるべき時である

より根本的な問題として、一般国民とは違う不自由な身分としての「天皇・皇族」をいつまで、そもそも何のために維持する必要があるのでしょうか。

また、皇族の人数の確保について考えるのも結構ですが、逆に自由になりたい皇族がいたらどうすればいいのでしょうか。

皇室の人々は、2000年生きてきた人間でも古代人でも聖人でもなく、われわれと同じ時代を生きる生身の現代人なのです。

皇族の人数の確保や皇位の安定的継承を考えるだけでなく、ここは発想を転換して、逆に皇族の人数が確保できず、皇位が継承できない事態になっても混乱しないような仕組みづくりも考えてみた方がいいのではないでしょうか。

備えあれば憂いなしといいます。これまで表立って議論されてはこなかったのですが、いわば「ポスト皇室」の事態に備えることも検討すべき時期のように思えるのです。

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堀 新(ほり・しん)
弁護士
1963年生まれ。1987年東京大学教養学部教養学科第三(相関社会科学)卒業。1987年株式会社東芝入社、主に人事・労務部門で勤務。2001年2003年、社団法人日本経済調査協議会に出向。2006年、司法試験に合格、2007年最高裁判所司法研修所にて司法修習。2008年弁護士登録。「明日の自由を守る若手弁護士の会」会員。主な著書に『13歳からの天皇制』(かもがわ出版)。

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「新年祝賀の儀」で「松の間」に入られる天皇、皇后両陛下と秋篠宮さま、皇族方=2022年1月1日、皇居・宮殿[代表撮影] - 写真=時事通信フォト


(出典 news.nicovideo.jp)


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