妖怪・怪談


    日本の民話 第413話 松屋のびんつけ



    (出典 maruhon38.net)


    むかしむかし、田島川(たじまがわ)のふちに住んでいた大蛇が、美人と評判の松屋の娘にほれて、何とか嫁にしたいと思いました。
     大蛇は若者に変身すると、松屋を訪ねて行って言いました。
    「娘さんを、わたしの嫁にいただきたい。もし嫁にくださるなら、一朝(いっちょう)で千金(せんきん)を得る秘伝をお教えしましょう」
     しかし松屋の主人は、
    「初めて会った者に、突然そんな事を言われても困る」
    と、若者の申し出を断りました。
     しかし若者は毎晩やってきて熱心に頼むので、主人も娘を嫁にやる決心をしました。
     そして婚礼をすませた若夫婦を主人夫婦が見送っていると、若者は田島川のたもとで急に立ち止まり、
    「わたしは、この川に住む大蛇です」
    と、大蛇の姿を現して、娘とともに川に飛び込んだのです。

     大切な娘を失った主人夫婦は毎日のように泣き暮らしていましたが、大蛇の若者が言い残していった一朝で千金を得る方法を思い出すと、一心に仕事に打ち込み始めました。
     その方法とは、びんづけ油の製法でした。
     びんづけ油とは髪の毛にぬる油の事で、当時は男も女もみんなびんづけ油を使っていました。
     大蛇の若者が教えてくれたびんづけ油は、べたつかず香りも良かったので、たちまち主人夫婦は大金持ちになりました。

     そんなある日、田島川の川筋一体が突然の大火事となり、松屋も火につつまれてしまいました。
     すると田島川から二匹の大蛇が現れて、松屋を火事からすくってくれたのです。
     ですが二度目の大火事の時に、その二匹の大蛇は松屋もろとも焼け死んでしまいました。
     その時から松屋のびんづけ油の質が落ちて、松屋はすたれていったそうです。
       おしまい







    日本の民話 第412話 洪水から村をすくった若者



    (出典 www.nishinippon.co.jp)


     むかしむかし、ある村に大きな池があり、白い大蛇(だいじゃ)と黒い大蛇が住んでいました。
     二匹の大蛇はとてもおとなしく、いつも仲良く池を泳いだり、池のほとりで寄りそっているのを畑仕事をしている村人たちがほほえましく見ていました。

     ところがある日、この二匹の大蛇が死んでしまったのです。
     それからというもの雨が降ると池の水があふれ出して、村の家や田畑を押し流すようになりました。
     村人たちは力をあわせて池のまわりにじょうぶな土手(どて)をつくりましたが、大雨が降ると土手が切れて村はたちまち水びたしになってしまいます。
     土手を何度なおしても、大雨が降ると村は水びたしです。
     そこで都から有名な占い師をまねいて、どうしたらよいかを占ってもらいました。
     すると占い師は、
    「この池には、白い大蛇と黒い大蛇がいただろう。
     その大蛇が村人のためにずっと池を守ってきたのに、誰もその事に感謝をしない。
     お前たちの恩知らずに、大蛇の霊(れい)は怒っておるぞ。
     明日の朝、池のほとりを通る薄緑色の着物を着た若者をいけにえに差し出せば、大蛇の霊が再び池を守ってくれるだろう」
    と、言うのでした。
    「若者をいけにえ・・・」
     村が救われるとしても、誰もいけにえになりたくはありません。
     村の若者たちは占い師の話を聞いて、明日は家から一歩も出ないようにしようと思いました。
     ところが次の日の朝、夜明けとともに池の土手の上に若者が現れたのです。
     それは長千代丸(ながちよまる)という、村の酒屋の三番目の息子でした。
     長千代丸は占い師の言っていた、薄緑色の着物を着ていました。
     そして土手の上で正座(せいざ)をすると、池の向こうから登ってくるお日さまを見つめながら、自分のお腹に刃物を突き刺して命をたってしまったのです。
     長千代丸は村を救うために、自分からいけにえとなったのです。
     それからは池の水があふれる事はなく、田畑がよく実るすばらしい村になったのです。
        おしまい







    日本の民話 第411話 松の木の伊勢まいり



    (出典 www.toku109.info)


    むかしむかし、伊勢(いせ)の大神宮(だいじんぐう)へ、若い男女の二人連れがお参りに行きました。
     二人はとても上品で、特に女の人は絵にかいたように美しく、名前を松子(まつこ)といったそうです。
     ところがこの二人、とても世間知らずな上、お金の使い方が下手でした。
     ですから大神宮へのお参りをすませての帰り道、お金が足りなくなってしまったのです。
     これを知った宿屋の主人が、二人を気の毒に思って言いました。
    「お客さま、宿代は心配なさいますな。来年も、お客さまの村の誰かが参宮(さんぐう)なさるのでしょう。その時に一緒に返してくだされば、結構です。ああ、それからこれは、帰りの足しに」
     宿屋の主人は、二人にお金まで貸してやりました。

     さてその次の年、あの二人の村から人が大勢きて、その宿屋に泊まりました。
     そこで主人は、
    「あの、あなた方の村の松子さんという人と、もう一人の方に、去年少しばかりおたてかえしたものがあるのでございますが、お持ちくださいましたでございましょうか?」
    と、たずねてみました。
     すると、その村人たちは、
    「はあ、松子さん?」
    と、みんな不思議そうな顔つきをしました。
    「村には、松野とか松代とか、松のつく名の人間はいるが、その松子というのはおらんぞ」
    「それに去年は、誰も伊勢参宮をしていないが」
     それを聞いて、宿屋の主人は首をかしげました。
    「へえ、さようでございますか。おかしいですねえ。決して人をだまされる方には、お見受けしませんでしたが」

     それから数日後、伊勢参宮から帰ってきた村人たちは、さっそく伊勢の宿屋で聞いた話を村人たちにしました。
     すると村人の一人が、大きく両手を打ちながら言いました。
    「そうか、それでわかった!」
    「わかったって、何が?」
    「村の諏訪神社(すわじんじゃ)の二本の松の木に、去年から白い物がちらちらしているのを知っているだろう?」
    「ああ、あれですか。子どもがたこでも引っかけたと思っていたのですが」
    「いやいや、あれは今の話しからすると、お伊勢さんの大麻(たいま→神社からさずけるおふだのこと)ですわ」
    「そういえば、確かに大麻かもしれん」
    「よし、確かめてやろう」
     そこで木登りの上手な人がその松の木に登っていくと、やがて上の方から、
    「おーい!」
    と、声がしました。
     木の下のみんなは、上に向かって大声でたずねました。
    「どうだったー! お伊勢さんの大麻かー!」
    「ああ、やっぱり大麻だあー! 間違いなくお伊勢さんの大麻だあー!」
     これを聞くとみんなはびっくりして、たがいに顔を見合わせました。
    「やっぱりそうだ。この二本の大松が人の形になって、伊勢神宮へお参りしたに違いない」
     そうとわかってみれば、その宿代をほおって置くわけにはいきません。
     村人は村中からお金を集めて、それを伊勢の宿屋へ送り届けたそうです。
       おしまい







    日本の民話 第410話 からいもと盗人



    (出典 sambuca.jp)


    むかしむかし、天草(あまくさ→熊本県の天草市)に、太助(たすけ)という船乗りが住んでいました。
     太助は子どもが大好きで、近所にお腹を空かせた子どもがいると、いつもごはんを食べさせてやりました。

     ある日の事、おかみさんが言いました。
    「あんた、もうすぐ米びつが空っぽになるよ」
    「じゃあ、米を買うてきたらいい」
    「そんな事言っても不作続きで、どこへ行っても米も麦もありはせんよ」
    「そうか。でも心配すんな。薩摩(さつま)へ行ったら、麦でも買うてきてやるわ」
     実はこの二年ほど、天草はひどい日でり続きで、米も麦もほとんどとれなかったのです。

     数日後、太助は薩摩の国へ荷物を運ぶために、船を出しました。
     帰りには食べ物を、船いっぱいにつんでくるつもりです。
     やがて船は、薩摩の港に着きました。
     薩摩のお客へ荷物を届けた太助は、その晩はお客の家に泊まる事になりました。
     そこで太助は、お腹を空かせた子どもたちの事を話しました。
    「そりゃあ、大変な事で」
    「はい。自分は子どもの頃に食べ物で苦労をしましたから、子どもたちにはひもじい思いをさせたくはないのです」
    「そうですか。太助どんは、立派ですな」
     このお客は太助が近所の子どもたちにもごはんを食べさせている事を知っていたので、今までも何かと手助けをしてくれていたのです。

     その晩、太助はお客から珍しい物をごちそうになりました。
    「うまい! だんな、これは何て食べ物で?」
    「これは薩摩にしかない、からいもでごわす」
    「からいもですか。うーん、実にうまい!」
    「わははは、そうでごわしょう。これは食べてよし、酒にしてもよし、おまけによく育つし、この薩摩では米以上の食べ物でごわす」
     からいもとは、サツマイモの事です。
     太助はからいもを天草に持ち帰り、自分の畑で育てたいと思いました。
     ですが、その事を客に話すと、
    「・・・残念じゃが、それはだめでごわす」
    「どうしてですか? 天草の子どもたちのためにも、どうかお願いします」
    「うむ、気持ちはわかる。だがこのからいもは、ご禁制品(きんせいひん)でごわす。もしもよその土地の人間に渡したと知れれば、わしはこの首を切られてしまうのでごわす」
    「ご禁制品ですか・・・」
     ご禁制品とは、持ち込みや持ち出しを禁じられている品物の事です。

     次の日、薩摩を出発する太助の船は、ご禁制の品をつんでいないか役人にきびしく調べられました。
    「よし、この船には、ご禁制の品はござらん。船を出してよいぞ」
    「はい、ありがとうございます」
     役人の許しをえて、太助がいよいよ出発しようとするその時です。
     客の男が、大急ぎで走ってきました。
    「太助どーん、太助どーん!」
    「だんな、どうなさいました?」
    「太助どん、子どもさんへのみやげの手まりを、おわすれでごわしょう?」
    「はて? ・・・手まり?」
    「何を言ってなさる。子どもさんに、頼まれたのでしょう。お役人さま、手まりを渡してもよろしいでごわすか?」
    「ああ。わしが投げてやろう。それっ!」
     手まりは客から役人の手へ、そして太助の手へと渡りました。
    「太助どん、その手まりは大事な品じゃ。子どもさんのために、立派に育ててくだされ」
    (育てる? 手まりを?)
     お客の言葉に、太助は首をかしげながら手まりを見ました。
     すると手まりの中から、からいもの芽が入っていたのです。
    「こっ、これは!」
     客が太助のために、ご禁制のからいものなえを手まりに入れておいてくれたのです。
    「だんな、ありがとうございます!」
    「子どもたちに、よろしゅうなあ」
    「はい、必ず立派に育てます」
     こうしてご禁制のからいもは、薩摩から天草へ持ち出されたのです。

     天草に帰った太助は、からいものなえを畑に植えると大切に大切に育てました。
    「いいかお前たち、いまにこのなえが木になって、うめえからいもがたんと食えるからな」
    「それは、本当か?」
    「ああ、大きな木になって、からいもが食い切れんほどみのるぞ」
    「そうか、早く大きくなるといいなあ」
     天草はあいかわらずの日でり続きでしたが、からいもは元気に育っていきました。
    「おや? 木ではなく、つるが出てきたな。からいもは、つるになるのか? それなら、そえ木をしねえと」
     太助はそえ木に竹を立ててやりましたが、つるはまきつくどころか、いつまでも地をはっています。
     畑一面につるがのびましたが、かんじんのからいもはなりません。
    「これは本当に、からいもか? 春だというのに、花も咲かんとは」
     夏になって小さな花をつけましたが、やはり実はつきません。
    「もしかするとからいもは、薩摩の土でしか実らんのだろうか」
     太助があきらめかけたある日、畑のわずかな作物をぬすむドロボウがやってきました。
    「畑あらしじゃー!」
     逃げるドロボウを、太助は追いかけていきました。
    「作物が出来んでみんなこまっとるのに、こんな時に畑をあらすとはゆるせん!」
     ドロボウは、太助のからいも畑へ逃げ込みました。
     するとからいものつるがドロボウの足にからまって、ドロボウは見事にこけてしまいました。
    「わははは、からいものつるにひっかかったな。役立たずのつるが、とんだところで役立ったわい」
     ドロボウをつかまえた太助は、ふとドロボウの足にからまったつるの先に付いている物を見てビックリ。
    「こっ、これは、からいもでねえか! そうか、からいもは土の中になるんか!」
     太助は夢中で、ほかのからいものつるを引っ張ってみました。
     するとつるの先には、丸々としたからいもがたくさん付いています。
    「おおっ、からいもじゃ。からいもじゃ。これだけあれば、子どもたちが腹を空かせる事はなくなるぞ!」
    それから天草では、どこの家でもからいもをつくるようになったという事です。
       おしまい







    日本の民話 第409話 弘法井戸



    (出典 i.pinimg.com)


    むかしむかし、惣松(そうまつ)という人が、村人たちと伊勢参宮(いせさんぐう)に行きました。
     そしてその帰り道に舟で二見が浦(ふたみがうら)の近くの飛島(とびしま)まで来たのですが、突然空に小さな白龍(はくりゅう)が現れて、惣松の着物の中に飛び込んできたのです。
     惣松をはじめ、村人たちはビックリしましたが、
    「これは、幸運を知らせる神さまのお告げじゃ」
    と、喜んで白龍を村へ持ち帰りました。

     家に白龍を持ち帰った惣松は白龍を床の間に置きましたが、白龍は床の間から出て行くと神棚(かみだな)の中に入ってしまったのです。
     惣松は、
    「神棚とは、この白龍は福の神に違いない。きっと、良い事がおこるぞ」
    と、神棚へだんごやお酒などをたくさんおそなえしました。
     すると惣松の家だけでなく村中が幸運続きで、村はどんどん栄えていきました。

     そんなある日の事、惣松は神棚にそなえただんごを一口食べると、
    「ぺっぺっ! くさっていやがる! こんな物、食えるか!」
    と、吐き出してしまったのです。
     するとそのとたんに白龍が神棚から飛び出して、森の中へかくれてしまいました。
     おかげで村はしだいに、貧しくなっていきました。

     それから数年後、旅の途中の弘法大使(こうぼうたいし)が村へやって来ました。
     弘法大師は村中を歩き回ると、村人にたずねました。
    「この近くに大きな力を感じるが、この村には何かあるのか?」
    「はい、お坊さま。実はこの村に一匹の白龍がいたのですが、森の中へ逃げてしまいました。それいらい、村は不運続きです。どうか白龍を、連れもどして下さい」
     村人の言葉に、弘法大使は、
    「白龍は水が好きだから、井戸をほってあげよう」
    と、持っていた杖(つえ)を、地面に突き刺しました。
     すると不思議な事に、そこから水がこんこんとわき出したのです。

     それからは毎日のように白龍がこの水を飲みに来るようになり、村は前のように栄えていったそうです。
       おしまい






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