オリンピック関係


    東京五輪ソフトボール金メダルを獲得した後藤希友投手は2021年8月4日、出身地である名古屋市河村たかし市長を表敬訪問した。

    このとき河村市長が披露したパフォーマンスをめぐり、SNS上に批判が相次いでいる。

    マスクを外し、メダルをがぶり

    ソフトボール日本代表は、オリンピックで13年ぶりに悲願の金メダルに輝いた。リリーフとして数々のピンチで大活躍したのが、名古屋出身の後藤投手だった。

    後藤選手は名古屋市役所を訪れ、河村市長に金メダル獲得を報告。SNS上では、地元局のCBCテレビで放送されたこのときの1シーンが大きな注目を集めている。

    後藤投手は報道陣の前で、河村市長の首に自身のメダルをかけた。すると河村市長はマスクを外し、後藤投手のメダルに噛みついた。このときの様子をCBCテレビはこう報じる。

    「後藤投手の活躍を称えた河村市長ですが、金メダルを首にかけてもらうと『重たいな』とつぶやき、突然金メダルをかむパフォーマンスを見せました」

    会場からは笑い声が上がっていた。

    この映像はCBCのサイトなどでも配信されており、SNS上でも拡散された。視聴者からは河村市長のパフォーマンスに疑問の声があがっている。

    「今はコロナ禍。その対応は考えられません」
    「自分のじゃないのになにかじってんだよ 可哀そう」
    「人の金メダル噛むってどういう神経してるの?気持ち悪い
    名古屋市の河村たかし市長(写真:Natsuki Sakai/アフロ)


    (出典 news.nicovideo.jp)


    <このニュースへのネットの反応>




     東京五輪が始まったのでいよいよ答え合わせができます。メダル獲得予想? いいえ、こちらです。

    「夏に五輪をやって、お祭りムードのなかで総選挙」(自民党中堅・朝日新聞デジタル4月15日

     五輪が始まれば国民はお祭りムードになる。その高揚感で菅政権の人気もあがる。この手の政府・自民党コメントが以前からあちこちで報道されていた。ちなみに上記は4月の記事。

     では始まってどうなったか。

    『五輪で消えた自粛ムード』(毎日新聞7月30日

     やはりお祭りムードになった。菅政権の見立て通りでした。さすがです。こんな記事もあった。

    「五輪で『楽観バイアス』緊急事態宣言意味なさなく」(専門家・NHKニュース7月28日

    「楽観バイアス」とはオリンピックの開催でコロナを軽くみてしまうこと。ここでもポイントとして「五輪のお祭りムード」が指摘されています。

    「楽観バイアス」を次々に確認

     実は五輪による「楽観バイアス」は政府・自民党でも次々に確認されています。時事ドットコム(7月27日)はメダルラッシュで国民の五輪祝福ムードが高まることを期待する声を報じた。

    「雰囲気がいい」(自民党幹部)

    「政権に追い風になればいい」(官邸幹部)

    「内閣支持率が好転すれば衆院選も早くやってほしい」(自民党の閣僚経験者)

     皆さんうかつすぎてドキドキします。

     もっと正直に言ってしまう人も。自民党の河村建夫元官房長官は、

    「五輪がなかったら、国民の皆さんの不満はどんどんわれわれ政権が相手となる。厳しい選挙を戦わないといけなくなる」(共同通信7月31日

     政権による五輪の政治利用と選挙利用を認めました。

    東京五輪による「高揚感」の結果…

     菅首相も五輪に夢中です。日本勢初の金メダルを獲得した柔道選手に電話した。明るいムードを演出する戦略なんでしょうが、原稿らしきものを見ながら電話するって振り込め詐欺グループを想起させてむしろ不穏でした。

     ここであらためて振り返りたいのは「高揚感」です。菅首相はこれに期待していました。確かに朝から晩までテレビで五輪をやっていれば高揚感とまでいかなくても開放感は感じます。

     その結果…。

     西村康稔担当相は「そのままの高揚した感覚で外出してしまうと、感染力の強いデルタ株はちょっとした隙で感染を広げてしまう」と述べた(衆院議院運営委員会・7月30日)。

     田村厚生労働大臣はNHKの「日曜討論」で、感染力の強い変異ウイルスデルタ株」の広がりで局面が変わっているとして、感染リスクの高い行動などを控えるよう、重ねて国民に理解と協力を呼びかけた(NHK8月1日)。

     両大臣があたふたしている。高揚した感覚で外出しないよう、大臣がわざわざ言う事態にまでなった。

    お祭りムード」のしっぺ返し

     しかし週明けの読売新聞オンラインは次の事実を伝えた。

    『都内週末の人出、五輪会場周辺では3割以上増加…緊急事態宣言の効果発揮されず』(8月2日

     ああ…。

     これまで安倍・菅政権は説明や論理を軽視してムードを利用して押し切ってきた。今回しみじみしてしまうのは、ムードを利用してきた政権がムードに打撃を受けていることだ。自分でお祭りムードを期待していたのに強烈なしっぺ返しを食っている。さらに言えば国民が五輪に高揚したとしてもそれが菅人気につながるかは怪しい。つまり元も子もない。

     そして危惧されているのは「デルタ株」である。

     7月30日におこなわれた首相会見では気になることがあった。菅首相が感染急拡大の原因を「デルタ株の猛威」と説明したのだが、そこには「デルタ株がすごいから仕方ないよね、誰が首相でも同じだよね」というニュアンスが漂っていたこと。

     すると案の定、会見の最後に「デルタ株を見くびっていたことが、感染爆発の背景にあるんじゃないか」と水際対策の不備についてきっちり記者に迫られていた。※Jane's Defence Weekly東京特派員の高橋浩祐氏。

    デルタ株の水際対策に失敗

     それに対し菅首相は「水際対策というものも、通常の6日とかそれぐらい延長して、しっかりと入国した人についてはチェックする体制という水際対策というのはきちんとやっています」(首相官邸HPより)。

     実はデルタ株の水際対策の「失敗」についてはすでに指摘されていた。『文藝春秋』8月号で分科会の小林慶一郎氏が書いている。

     日本でデルタ株の脅威が認識されたのはGWの頃。小林氏はその頃に停留を6日間ではなく14日間にしたほうがいいと提言していた。

    「危機感が募り、早急に水際対策の強化をするよう分科会の場で強く主張しました。インド等からの入国者の停留を、豪州、NZと同じように14日間にすべきだと言ったのです。」
     
     しかしこの提言は「マンパワーが足りないことが大きなネック」だとして潰され、「幻の提言」になった。

     記事のタイトルは『分科会メンバー手記 コロナ第4 波「菅官邸の陥穽」』。水際対策の不徹底が第5波を招く、とある。その通りの展開となっている。この点の責任論だけでも気になる。

    ほんとうは怖い菅首相の「楽観主義」

     それでも菅首相は楽観的だ。国民が楽観バイアスになるのも首相が楽観的だからか。しかしこの「楽観」はよく調べると怖い。

     首相が見ているシミュレーションは、新規感染者がだいたい2000人以下の範囲で収まるものだったという(朝日新聞デジタル7月31日)。

     楽観シナリオが首相に集まる理由について、首相周辺は「首相がそういうデータを出せというから、そうなる」と語っている。これは楽観というより逃げだ。都合のいいものだけ信仰だ。

    「言霊になるからやめろ

     そういえばこんな記事もあった。4月下旬に3度目の緊急事態宣言が出た。設定された期限は5月11日。閣僚のひとりは首相に「5月上旬は、まだ感染者数が増えている。解除するなら、それなりの理由がないと理屈が通りません」と伝えた(朝日新聞7月21日)。

     これに首相は、

    《「言霊になるからやめろ」と応じたという。》

     言霊…。

     感染者数が増える可能性を口にすると本当になるかもしれないから議論しない、考えない。これではもうオカルトである。

     でも、そういえば、何を問われても「安心安全」としか言わないのも言霊を信じているからだろうか。会見で用意された言葉しか言わないのもアドリブを言えば言霊になってしまうからだろうか。すいません、「答えない」意味を首相側の気持ちに立って考えたらそんな仮説が浮かんでしまいました。

     東京で新規感染者が初めて3000人を超えた日、官邸側は「本日はお答えする内容がない」として首相の取材対応を拒否。目の前で起きていることから逃げた。

     IOCの広報部長が感染者数の増加と五輪の関係について「パラレルワールド(別世界)のようなもの」と発言したが、ほんとうはパラレルワールドに一人でいるのは菅首相なのかもしれない…。そこに流れるニュース日本人選手の金メダルのみ…。

     以上、真夏の怪談でした。
     

    (プチ鹿島)

    ©iStock.com


    (出典 news.nicovideo.jp)


    <このニュースへのネットの反応>




    東京五輪が開催される中、全国では1日あたりの感染者数が1万人を超えるなど、新型コロナウイルスの感染が拡大している。医師の木村知さんは「医療現場で働く身からすると、五輪の熱狂が異次元の世界に見える。五輪に関する世論の手のひら返しが、戦時下と重なり恐怖さえ感じる」という――。

    ■開会後に急速に変わった空気

    とうとうコロナ禍のなか東京五輪が開催されてしまった。

    新型コロナ感染拡大が収まらない状況で開催中止を求める声は高まり、スポンサー企業でさえも五輪から距離を置く姿勢を見せ始めた。それにもかかわらず、開催は文字通り強行されてしまった。

    その後も感染者の急増は止まらない。都内での新規感染者はついに3000人を超え、今や過去最悪の状況となった。このままではこの傾向は収まるどころかいっそう拡大、医療崩壊ももう避けられないだろう。

    開催前の5月22日と23日に東京新聞などが行った世論調査では、中止すべきという意見は60%超、多数派であった。しかし開会式が開催され、じっさいに競技が始まり日本人選手が金メダルを獲得し始めると、その空気は急速に変わり始めた。

    NHKは総合、Eテレともに終日五輪一色。民放でも今まで開催に懐疑的な意見を流していた番組ですら、手のひらを返すように日本人選手の活躍ぶりを歓喜と興奮にあふれる声で大々的に取り上げるようになったのだ。

    未曾有の感染急拡大の一方で、反対の声を無視して開催に突き進んだ政府、それに無批判に迎合して五輪礼賛番組を流し始めるメディア、さらにそれらの番組に嬉々としている人々の声を聞くと、ウイルスそのものへの恐怖にも増して群衆心理への恐怖を感じずにはいられない。

    ■感染者急増の中の五輪開催こそ緊急事態だ

    「ここまで来たのだから、いまさら引き返せない。どうせやるからには小難しいことなど言わずに楽しもうではないか」
    「ここで中止してしまったら選手たちが可哀想。賛否両論あったけれど、もうやると決まったのだから皆で選手を応援しようよ」
    「心配だったけど、開会式を見て気が変わった。だんだんワクワクしてきた。やっぱり開催して良かったんじゃないかな」
    「私は五輪反対派。ネット署名までしていたけど、いざ日本人選手のメダルラッシュ見てしまうとやっぱり感動! 選手は悪くない。もうテレビから目が離せない。選手たちを応援します!」

    まさに政権の思惑どおり。ネットテレビではこのような意見をたびたび見かけた。こうなれば、延期や中止の世論は五輪礼賛へと一気に雪崩を打つことになる。そして「この期に及んでまだ中止を叫んでいる人」は一転、“ややこしい人”とのレッテルが貼られて少数派になってゆく。菅義偉政権が確信を持って期待していたのは、まさにこの現象であろう。

    NHKが先頭に立って、日本人選手の活躍を嬉々として伝えた直後のニュース感染者急増を報じ、またそのニュースが終われば何事もなかったように熱狂中継に戻る、というまさに絵に描いたようなディストピアを体現しているが、この極めて奇異な現象を、今や地上波で公然と批判する者は皆無だ。これぞ危機的緊急事態ではないか。

    ■医師からは五輪の熱狂が異次元の世界に見える

    私は診療所の医師であるし、主たる業務は訪問診療だから、発熱外来も担当しているとはいえ新型コロナ感染者の治療全般を担っているわけではない。しかし自分が診察した患者さんからの陽性確認を今まで経験したことのないハイペースで次から次へと実体験している私にしてみれば、開会式後から手のひらを返したように五輪礼賛ムード一色となったテレビ番組を観るにつけ、まったく異次元の世界に来てしまった感覚に陥らざるを得ないのである。

    無邪気に熱狂している人たちにとってコロナは、じっさいに自身が感染を経験したわけでもなく感染した人に接したこともなければ、現実でない異次元の出来事に思えてしまうのかもしれない。それならば合点もいく。

    そもそも今回の五輪招致は、国民の共感を喚起するために復興五輪という大義名分が与えられたが、その本質は東日本大震災によって引き起こされた原発事故を覆い隠すためのものと言っても過言ではない。事故は発生から10年たった今なお収束のメドすらつかず、故郷を追われた人々もいまだに数多く取り残されている。

    しかし五輪を開催にこぎつけ、日本人選手の活躍によって多くのメダルが獲得できれば、これら政府にとって不都合な負の記憶は多くの国民の脳裏から消し去ることが可能となる。じっさい、アンダーコントロールという虚偽の言葉を公然と安倍晋三前首相が用いても、招致が成功したことで、この明らかな虚偽がまるで真実であるかのようなお墨付きを国際的にも得たことになってしまった。

    ■感染者3000人突破でも中止の考えなし

    「復興五輪」がいつの間にか姿を消し、次には「コロナに打ち勝った証し」が、そして打ち勝てないことが明白になると、今度は「コロナと闘う姿」や「困難を乗り越えて成功させる」というスピリチュアルな世界に日本政府は迷入していくことになった。

    政府は批判の声をかき消すように“安全安心”を必死にアピールし続けるが、その根拠を問われても頑なに明示しようとしない。「開催断念するのはどのような事態に陥った場合か」という問いに対しても不誠実な態度を貫きとおし、開催に突入した。その結果が今である。

    7月28日、ついに都内での新規感染者数が初めて3000人を突破した。政府はこの感染急拡大を見ても、五輪との因果関係は証明できないとして中止する根拠とはならないとの見解を示すに違いない。じっさい菅首相は前日のぶら下がり会見において、感染急拡大の現状にあっても人流は減っているなどとして中止する考えのないことを明言。3000人突破の報を受けても記者の質問を無視して素通りした。

    公明党の石井啓一幹事長は「現在の感染者数は2週間前を反映しているのだから開会とは関係ない」と発言し、IOCマークアダムス広報部長も「パラレルワールドみたいなものだ」として五輪と感染再拡大は無関係との認識を強調した。

    ■五輪だけが原因であると特定する必要はない

    Twitterでは #オリンピックは関係ない というタグまで現れ、むしろ多くの人が自宅にこもってテレビで観戦することで人流を減らすことができるなどという奇妙な五輪擁護論まで出てくるようになってきた。

    もちろん感染拡大にはさまざまな因子が絡みあうから、五輪という単一の因子で感染急拡大の原因を説明することはできないだろう。しかし冷静に考えれば、五輪だけが原因であると特定する必要は一切ないのである。

    感染者急増と医療資源枯渇という「事実」と、国内外から多数の人を首都圏に呼び込む世界的イベントが行われている「事実」、これら2つの厳然たる「事実」が同時に首都圏に併存しているという「事実」さえあれば十分なのだ。

    そしてこの2つの事実が併存することによって、感染制御と医療が五輪開催によって妨害されている「事実」も生じる。この事実の存在こそが、私も含め多くの人が開催中止を訴えてきた理由である。

    では五輪開催は、医療と感染制御にいかなる妨げをもたらしているのだろうか。

    ■政府の言動の矛盾で国民の不満が爆発した

    すでに多くの識者の指摘もあるが、政府の言動の矛盾がその最たるものと言えるだろう。緊急事態宣言を出し不要不急の外出をするなと国民の行動制限をしておきながら、国内外から多くの人を呼び込み、あげくに五輪関係者の行動制限は形ばかりのものとしていた。飲食店での酒類提供を制限させておきながら、競技会場の中ではアルコールを提供しようとしていた。これらの「五輪は特別」というメッセージは少なからぬ人たちに「五輪がよくて、なぜ私たちは我慢しなければならないのか」という気持ちを芽生えさせた。

    じっさい五輪のために作られた7月22日からの4連休、都内の人出は緊急事態宣言がなかった去年7月の連休よりも大幅に増加した。これは国民の我慢の限界が、政府の矛盾に満ちたメッセージによって爆発したものと言えるだろう。

    これらについて「政府は誤ったメッセージを出してしまった」と批判する声があるが、私の見方は少し違う。政府が感染拡大を真剣に制御しようとしていたにもかかわらず、その本心と異なったメッセージを出してしまったならその通りだが、これまで政府が国民に示し続けてきた言動は、それとはまったく異なる。私に言わせれば、これらは「誤ったメッセージ」ではなく「感染制御よりなにより五輪開催が最優先である」との政府の「本心からのメッセージ」だ。

    ■「熱中症」の観点からも五輪開催には疑問が残っていた

    実は私はコロナ禍以前から東京五輪開催には反対だった。理由は猛暑だ。詳細については2019年に上梓した拙著『病気は社会が引き起こすインフルエンザ大流行のワケ』(角川新書)で論じているが、新型コロナの流行がなくとも真夏の東京でのスポーツイベントはあまりにも危険だ。そもそも開催してはならないのだ。すでに熱中症による被害者が五輪選手に出始めているが、被害者は選手にとどまらない。

    “猛暑下でも五輪開催できる”という誤ったメッセージによって、子どもたちも危険にさらされるのだ。今は夏休みのはずだが、通勤電車にはあきらかに運動部員とみられる生徒たちが大きなスポーツバッグを背負って乗ってくる。

    本来、熱中症の危険がある状況での屋外運動は禁止だ。しかし五輪が開催されてしまっている現状では、行政としても猛暑の危険を大々的にアナウンスできない。「五輪はできるのに、なぜ部活はダメなのか」いや「部活が危険なら、五輪も危険ではないのか」という声が高まれば、せっかくの五輪フィーバーに水を差すことになってしまうからだ。

    猛暑による危険を国として認めてしまえば「晴れる日が多く、かつ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」との虚偽を用いて招致したことを改めて全世界に知らしめてしまうことにもなる。

    ■五輪が医療現場に余計な負荷をかけているという事実

    当然ながらこの状況で部活を行うことは感染にも大きなリスクだ。じっさい高校生の部活でクラスターも生じている。今回の五輪開催は炎天下でのスポーツ全般を正当化し、それによって子どもたちを熱中症の危険にさらすとともに、新型コロナ感染リスクさえも負わせている。これらは五輪開催さえしなければ防げたはずだ。

    新型コロナの急拡大によって医療体制が逼迫し始めてきた状況で、行政は医療機関に対してコロナ病床の拡充のため通常診療の縮小や不急の予定手術の延期を検討するよう要請している。その首都圏には五輪が数万人の余計な人口増加をもたらしている。そしてこれらによって増えた人たちにも新型コロナに限定しない医療需要が生じ得る。熱中症新型コロナでただでさえ逼迫する医療現場に、さらに余計な負荷をかけているのが東京五輪なのだ。

    #オリンピックは関係ない という人たちの思考からは、こういう医療提供体制への視点と配慮が完全に欠落している。開催されたことと感染急拡大は無関係だとしきりに強調するが、そもそもその因果関係など問題ではない。五輪開催が感染制御と医療提供体制の足を引っ張り妨害していることが最も重要な問題なのだ。

    ■五輪と戦争が孕んでいる「装置」

    それに引き換え、日本人選手が金メダルを多数獲得しようが、素晴らしいプレーが感動を与えようが、逆境を跳ねのけて出場した選手が希望をもたらそうが、これらの事象には私たちが現在直面している新型コロナ感染急拡大を抑止する能力も効果も一切ない。人命を救うことももちろんできない。「スポーツの力」など、今の状況ではまったく無力なのだ。

    「ここまで来たのだから……」「ここで中止してしまったら……」という気持ちは、ひとつの感情としては分からなくもない。しかしその感情を国民の総意であるかのように位置づけることは非常に危険だ。先の戦争、私は当事者ではない。しかし歴史を学べば知ることはできる。何度も踏み止まったり引き返すことができた時点があったにもかかわらず、批判や懸念の声はかき消され、結果、わが国は多くの尊い人命を失った。

    「私、本当は今回の東京五輪には反対だったんです。でもいざ始まったら連日のメダルラッシュに胸が熱くなった。選手たちを応援しよう!」と開会式後に言い出した人と、かつて戦時下で「私、本当は今回の戦争には反対だったんです。でもいざ始まったら連戦連勝に胸が熱くなった。兵隊さんに感謝しよう!」と手のひら返しをしたといわれる人に、私はまったく同じメンタリティを見る。

    当然ながら五輪と戦争は別ものだ。同列に語るべきではないとの声も知っている。しかしそのどちらも国の威信や愛国心という、統治者にとって国民をコントロールするにあたって極めて有用な「装置」をその根底に孕んでいる。

    ■「敗戦の日」を目前にして感じる恐怖

    この危機的状況で五輪さえも中止できない国が、もし戦争へと向かう状況に置かれた場合に引き返すことはできるのだろうか。戦争となれば人が死ぬ。スポーツの負け試合とは比較にならない次元が違う「屈辱」に、国民はいとも容易く感情的になるだろう。「ここで引けるか、仕返しだ」という世論は雪崩をうって開戦慎重論を踏み潰し、よりいっそうの泥沼にハマっていく……。五輪すら中止できない国においては容易に起こり得ることではなかろうか。

    「選手は悪くない」「選手を批判するのは違う」との言葉もよく聞かれる。たしかに選手には五輪開催の適否を決める権利も手段もないかもしれない。しかし選手もアスリートである以前に、ひとりの人格ある人間である。意思表示を行う権利も手段も有している。猛暑やコロナ禍の中での五輪開催について、不安や不満をひとりの人間として発言することはできたはずだ。

    今からでも発言してもいいはずだ。心の中にそうした不安や不満があるにもかかわらず、それを自由に発言することのできない「空気」が彼らを覆っているとするならば、それは戦時下となんら変わらない。

    「やると決まったからには、自分のできることを全力でやるだけです。日の丸を背負って」という選手たちの言葉、それを無批判に絶賛する声が、開会式というほんの数時間のイベントを契機として急増してしまう群衆のメンタリティ。「敗戦の日」を目前にして、こうした選手たちの姿を出征兵士の姿に重ねあわせて底知れぬ恐怖を感じる私は、妄想におかされた、ややこしすぎる人間だろうか。

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    木村 知(きむら・とも)
    医師
    医学博士、2級ファイナンシャルプランニング技能士。1968年カナダ生まれ。2004年まで外科医として大学病院等に勤務後、大学組織を離れ、総合診療、在宅医療に従事。診療のかたわら、医療者ならではの視点で、時事・政治問題などについて論考を発信している。ウェブマガジンfoomiiで「ツイートDr.きむらともの時事放言」を連載中。著書に『医者とラーメン屋「本当に満足できる病院」の新常識』(文芸社)、『病気は社会が引き起こす――インフルエンザ大流行のワケ』(角川新書)がある。

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    東京2020オリンピックの開会式で、オリンピックスタジアムの上空を彩る花火=2021年7月23日 - 写真=AFP/時事通信フォト


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    【五輪競技会場「負の遺産」に? 重い維持費、赤字へ危機感 ・・・・・】の続きを読む


    image:秒刊SUNDAY

    新型コロナウイルス感染者が増え続ける中、東京オリンピックは中止されることなく開催されております。このまま無事に終わればよいのですが、この状況で感染者の増加に歯止めが効かなくなれば、中止の可能性も現実味を帯びてきます。そんな中、全国知事会が出した「国民向けのメッセージ案」が波紋を呼んでおります。

    都道府県境をまたいだ旅行や帰省を原則中止について

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    問題となっているのは、全国知事会が出す国民向けのメッセージ案です。具体的な内容は以下の報道にあるとおりです。

    全国知事会は1日、夏休み中の都道府県境をまたいだ旅行や帰省を原則中止、または延期するよう求める国民向けのメッセージ案を示した。やむを得ず移動する場合は、事前にPCR検査を受けるよう訴えた。

    引用:共同通信

    このメッセージ案を読むと、昨年同様、なかなかハードルの高そうな夏休みとなりそうです。無論、緊急事態宣言が発令されている地域は仕方のないことです。

    この報道内容にネットでは「国境をまたいで、運動会を開催しているわけで」「都道府県境を跨いで五輪を開催しているのに」「今更誰も聞かないような気がするけどな」など呆れたコメントが寄せられております。

    一方でIOC曰く、オリンピックは「パラレルワールドみたいなもの」なので無関係との認識を示しております。

    果たして、全国知事会によるメッセージは、国民に受け入れられるのでしょうか。

    そして、昨年の夏が「特別な夏」とするのであれば、今年の夏はいかなる夏になるのか、まだまだ先行きが全く見えません。



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    都道府県境またぐ旅行禁止に、ネットで「オリンピックやっといて…」と怒り爆発


    (出典 news.nicovideo.jp)


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